購入したCDやゲーム等の日記です。 SINCE : 2008.11.24
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1557年冬。曳馬城には松平斯忠、酒井忠次を置き鵜殿勢に備える。城Lvも1上げる。財政難に陥りLv1ずつしか上げられない。家康隊は三河に戻す。
岡部元信の兵力7で尾張の鳴海城(Lv2)に攻め込みこれを落とす。
1558年春。突然、尾張の独立勢力、織田信清(軍6、内3)兵力9が臣従するイベントが起きる。
ここで敵武将が味方になるイベントが起きたのは嬉しい。
それと三河で石川数正(軍8、内5)が登場したので配下にする。
家康、酒井正親を尾張の鳴海城に移す。
岡部元信の兵力7で沓掛城を落とす。
1558年夏。石川広成が病死する。後を継いだのは「重治」なる武将。重治といえば竹中半兵衛!!
やはりこの「重治」は半兵衛であり、軍5、内15とかなり優秀。
言い忘れていたが、高齢で病死してあとを継ぐ武将は全登場武将の中からランダムで選ばれるのである。
尾張の独立勢力の攻撃に備える為、沓掛城、鳴海城に兵力を分散する。
敵の士気はそれほど高くないだろうからこれで撃退できるだろう。
こちらから攻め込む金がない。行軍には金がかかるが相変わらず財政難。
独立勢力は沓掛城に総兵力46で攻め込んでくる。が、お決まりの雁行の陣で打ち破ぶり、敵将坂井大膳を討ち取る。敗走したのは織田信安なんだが。討ち死にする条件はよくわからない。
1558年秋。収穫の秋だが、思いのほか金が入らない。石高の割に兵力が多かったり、城Lvが高かったりするので管理費で持ってかれたみたい。
独立勢力は先程の敗戦でかなり兵力が減ったので、沓掛城に誘い込み閉じ込める作戦をとる。
家康と他2隊を守山城(Lv8)に向かわせる。
思惑通り、Lv2の沓掛城に独立勢力全軍で攻め寄せたので、がら空きの守山城を落とす。
これで沓掛城に閉じ込め完了。次の合戦で殲滅させるぞ。
1558年冬。家康、岡部元信隊で沓掛城に向かう。
そしたら兵力は36対37と互角なのに何故か篭城。Lv2の城にてこずる訳も無く落城。3人の武将が降伏してくる。これで敵勢力は殲滅したので空っぽの城を攻めるだけである。
放って置いた鵜殿軍が兵力26で曳馬城に攻めてくる。落城することは無いがこのまま兵が増え続けると危険なので次あたりで叩いておく必要がある。
1559年春。尾張に前野長康(軍7、内8)が登場したので家臣にくわえる。
家康と降将3名を遠江の曳馬城に移動。
家康隊で鵜殿隊を蹴散らしたいが金が足りないので進軍できず。降将3名は名高い高天神城で散り、尾張の城を3つ(岩倉、清洲、那古野)落とす。
1559年夏。尾張を54%支配し、徳川家の石高は43万石となった。兵の集まりもだいぶ良くなる。
尾張の残り2つの城を落とし完全に支配した。と思ったら今度はがら空きになった清洲城を斎藤軍が強襲する。今度は斎藤か。ホントに気が抜けない、このゲーム。
1559年秋。尾張を8割支配したおかげで秋の収入がかなり増えた。去年は100ちょっとだったのに今年は400もの金が入るとは。
金100を使い、石川重治(内15)で治水開墾を実行する。尾張の石高が8.4万石も上がる。
清洲の斎藤軍が守山城に攻め込んでくるが撃退し、斎藤龍興と愚将1人を討ち取る。
そしてその清洲へは家康が攻め込み奪還する。これで今度こそ尾張を制覇した。
1559年冬。尾張で石川重治(内15)が楽市楽座を実行。町が22上がる。
美濃の稲葉山城(Lv20)を攻める。
家康隊を含む総兵力69に対して当主の斎藤義龍と他5隊は篭城する。さすがは名城、三度包囲しても耐久度はLv2しか落ちない。
岡部元信、前野長康も美濃に進撃し、墨俣城を落とす。